九月。
もう夏休みも残り一週間を切り学校開始が目前となりました。久々に日記兼ブログを書こうと思います。
夏休み中は彼氏と喧嘩しっぱなしで片手で数えられるほどしか会えませんでした。なぜか不思議なことですが友だちや部活に使う時間はたくさんあったのに私に使う時間はなかったらしいです。不思議。
そんなこんなで彼氏とまったくうまくいかずストレスが溜まった私はあるものに手を出しました。そう、出会い系です。
出会い系というと少し嫌な響きですね。マッチングアプリと呼びましょう。運営している会社も信用できるところです。まぁ利用している人が信用できるかは別問題ですが。
そんなマッチングアプリでついにある人と食事に行くことが決まりました。日程や詳しいことはまだ未定ですが今から緊張しています。マッチングアプリには身バレを恐れ顔が明確にわかる写真を載せていないので向こうは私を美人だと思っている可能性があります。それはマズイ、私はただのブスだ。
顔以外にも不安要素はたくさんあります。そもそもネットで知り合った人と会うなんて怖すぎます。ネットで知り合った人と会ってはいけないと散々教え込まれてたので本当に心配です。あと人と食事するの苦手ってのもあります。もーはちゃめちゃに緊張してる。
まぁいい機会なので頑張ってみます。これで世界が開けたらいいなーなんて淡い希望を持ちながら。
バイト帰りの電車内にて
あえてクリスマスのことには触れずにいきます
私は昔から「素敵な人になりたい」という漠然とした目標があります。漠然とし過ぎてなかなか理想に近づけず(当たり前ですが)苦しい時もあるけれど、理想に近づけないからこそいつまでも諦めずに目標に向かい続けることができます。
とはいっても最近になって「素敵な人」の輪郭がぼんやり見えてきた気がします。私はどう足掻いても明るい勝ち組にはなれません。わかってます。でも、卑屈にならずに、勝ち組になれないからこそ努力をして弱者に寄り添えるような人になりたいです。なんとなくですけど。
やっぱり自分が弱者(マイノリティ)だと同じ弱者に寄り添いたくなりますよね。弱者=マイノリティって方程式もどうかと思いますが、現代の都合上許してください。いつかマイノリティにもマジョリティと同じくらいの発言権が貰える時代がくることを願っています。
とはいっても悪質なタイプのマイノリティは嫌いなので味方しませんけどね!悪質なマジョリティも味方しないので安心してください!
国宝おめでとうございます
ソドム百二十日がフランスの国宝になるらしいです。めでたいことこの上ない。
私とソドムが出会ったきっかけはトラウマ映画特集から。もっと遡るとジョジョのメタリカからOne、Oneからジョニーは戦場に行ったに行き着き、そこからのトラウマ映画特集でソドムの市とはじめて出会った。
高校近くの図書館には佐藤晴夫訳のソドム百二十日が置いてあったので、時間があるときに気になる部分をチマチマ読んだりしていました。本当は全部通して読みたかったんだけど、そんな時間も気力もなかったので拷問シーンや食糞シーンだけ読んでた。
不思議なことに、色々疲れているとやけにソドム百二十日を読みたくなる病気を患っていのかしんどいときは高校サボって図書館行ってソドム百二十日読んでた。当時の支えの一つだった。
私は澁澤龍彦訳ではなく佐藤晴夫訳の方が好きだ。全訳だからってのもあるが、読みやすいのが一番の理由だった。子供に向けているような優しい文体で性的倒錯な文を書き連ねているのがアンバランスで魅力的だった。
ソドムの市も大好きだ。18歳になってはじめて借りたのがソドムの市である。2年近く我慢した映画ははじめてである。高校を卒業した後の楽しみはソドムの市を見ることだけだったと断言できるほど昔の私はソドムの市に惚れ込んでいた。
当時、映画は見れないがあらすじは知ることはできると好奇心に身を任せソドムの市のネタバレを調べまくっていたのでだいたいのストーリーはわかっていた。うんこを食う。それは確実にわかっていた。しかし、実際に見てみたらそこには私の知らない世界が映し出されていた。想像以上に酷くて下品だった。みんなうんこに気を取られ過ぎてうんこがひどいとのネタバレばかりだったが、実際はうんこなんて可愛らしいもんだった。己の欲望のためなら親を殺すのも苦ではない、従わない者には容赦ない制裁、物扱いされる若者たち。私にはそっちの方が恐ろしかった。見終わったあとは酷く疲れてしまった。あんなに疲れる映画は久しぶりだった。
ソドム百二十日、ソドムの市の内容を簡潔にあらわすなら「うんこ」であるが、「うんこ」ではないところに真の魅力があると私は思っている。どうか、この作品らを見ようと検討している人がいたら「うんこ」を恐れずに見てほしい。